(新潟県HP https://www.pref.niigata.lg.jp)
あ行
- 阿賀野市(あがのし)
- 阿賀町(あがまち)
説1 アイヌ語の「ワッカ」で「清い川」を意味する説
説2 開墾しても水田とならない隆起した土地を意味する「揚野」の当て字
(都市データパック(市章)http://www.jlogos.com/d026/8509741.html)
- 粟島浦村(あわしまうらむら)
海に浮かぶ粟粒のような島であることに由来(角川日本地名大辞典)
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- 出雲崎町(いずもざきまち)
古代から出雲国と交流があったことが由来。(角川日本地名大辞典)
- 糸魚川市(いといがわし)
説1 弘法大師(空海)が竹管に糸を巻いて川に投じたところ、たちまち魚となって泳ぎまわった。
説2 対立する軍(どのような軍かは不明)がこの地で挑みあったので「いどみ川」から転じて「いといがわ」となった。
説3 淀(よどみ)川から転化して「いといがわ」となった。 その他、災害がよくおこるので「厭(いとい)川」から転化した。
説4 糸魚(イトヨ)が市内の河川に多く棲んでいたことから付いた。
説5 古代、新羅人が日本に渡り帰化人となり、糸井と名乗り、この地に住み着いたことから付いた。「糸魚川史」執筆者の青木重孝の説によると、新羅のある集団が日本に渡り、まず、兵庫県の但馬の地を開き糸井造(いといのみやつこ)という姓(かばね)を名乗り、その後、この一族がこの地方に入ってきたことに由来。(糸魚川市HPhttps://www.city.itoigawa.lg.jp/6285.htm)- 魚沼市(うおぬまし)
説1 「五百沼」の借字で数多い耕地の意とする説
説2 「魚の川」という川名先行説
説3 「大野」説???
(角川日本地名大辞典) - 小千谷市(おぢやし)
- 柏崎市(かしわざきし)
- 刈羽村(かりわむら)
信濃川支流の湯殿川と茶郷川の落ち合うところ説(角川日本地名大辞典)
か行
かつて常緑樹の原生地で、柏が群生していたことから「柏崎」と呼ばれた。(都市データパック(市章)http://www.jlogos.com/d026/8509741.html)
郡名である刈羽郡に由来。刈羽郡は、中世に三島郡という名前から刈羽郡に変更されたがその時期、由来は不明。(角川日本地名大辞典)
- 加茂市(かもし)
賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)(=上賀茂神社)@京都と賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(=下鴨神社)@京都を青海神社に合祀したことから。(角川日本地名大辞典)
上賀茂神社は賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)、下鴨神社は玉依媛命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)を主祭神として祀っている。賀茂建角身命は神武天皇の東征の先導役を務めた。その娘が玉依媛命。玉依媛命の子神が賀茂別雷神。(個人HPhttps://note.com/honno_hitotoki/n/n5366c03a4cf7)
- 五泉市(ごせんし)さ行
~白川風土記より~
【1】五条の川が流れていたところから。
【2】五泉市内に『今泉』という地名が現在もあるが、これは『前泉』が訛ったもので、これに対する『後泉』より『五泉』になったもの。
~北国太平記より~
【3】『期仙』との記述があったところから。
~老人から伝え聞くところより~
【4】むかし『五泉数馬』という人がいて、永徳2年(西暦1382年)に城塁を築き住んだことから
(五泉市HPhttp://www.gappei-archive.soumu.go.jp/db/15nii/1525gosen/gosenprof/gosenprf.html)
- 佐渡市(さどし)
- 三条市(さんじょうし)
- 新発田市(しばたし)
- 上越市(じょうえつし)
- 聖籠町(せいろうまち)
- 関川村(せきかわむら)
た行 - 胎内市(たいないし)
- 田上町(たがみまち)
- 津南町(つなんまち)
- 燕市(つばめし)
- 十日町市(とおかまちし)
な行 - 長岡市(ながおかし)
- 新潟市中央区(にいがたしちゅうおうく)
- 新潟市北区(にいがたしきたく)
- 新潟市江南区(にいがたしこうなんく)
- 新潟市秋葉区(にいがたしあきはく)
- 新潟市東区(にいがたしひがしく)
- 新潟市西区(にいがたしにしく)
- 新潟市西浦区(にいがたしにしうらく)ま行
- 見附市(みつけし)
- 南魚沼市(みなみうおぬまし)
- 妙高市(みょうこうし)
- 村上市(むらかみし)
や行 - 弥彦村(やひこむら)
- 湯沢町(ゆざわまち)
説1 狭い海峡を指す狭門(佐渡)に由来
説2 群郷名の雑太(さわだ)に由来
(角川日本地名大辞典)