田辺市

府中市

[概要]

[由来]

かつてこの地にあった館(むろづみ)に収める稲をつくる田部(たのべ)に由来.
館は旅人の宿泊所を意味し,田部はやまと政権の領地を耕作する民を指す.

[地形]

[歴史]

[構成]

秋津系

・秋津川(アキヅガワ)
右会津川の旧名の秋津川に由来する.
・秋津町(アキヅチョウ)
・上秋津(カミアキヅ)
イザナギとイザナミが産んだ水戸神,速秋津日子と速秋津日女に由来する.上秋津にある川上神社に祀られている.(秋津野塾)

・あけぼの

・朝日ヶ丘(アサヒガオカ)
昭和52年からの名前.湊・神子浜地区と万呂地区の間にある標高80mの丘陵地が県開発公社により造成された.西牟婁総合庁舎(県事務所)・公共職業安定所・田辺社会保険事務所などの公的機関,また木材協同組合などの民間の機関も集まり官庁街を形成している.(角川日本地名大辞典)

・鮎川(アユカワ)

磯間(イソマ)

・稲成町(イナリチヨウ)
この地にある稲荷神社に由来する.創立年代は不詳であるが、社伝によると鎮座は、弘法大師が熊野社参の弘仁年中(810―824)という.紀伊続風土記は旧湊村(近世の田辺町紺屋町)の稲荷社を当地に移したと記す.(和歌山県神社庁)

今福町(イマフクマチ)

・熊野(イヤ)

ウエノ
上野
ウエノヤマ
上の山

・江川(エガワ)
河口に位置することから「江川」と呼ばれ、江戸期~明治6年までは「江川浦」という村だったが、明治6年から「江川町」となった.河口が良港となっていたため、漁業が盛んで、今も昔も漁師町.廻船も着岸するので魚商はもちろん問屋なども軒を並べた。浅野氏家が田辺に入ったとき、上野山城に入り、その麓の江川に城を造りはじめたが、2年ほどしたときに大風雨により破壊された。そのため対岸に城を建設したが、もとの城下町として、城下八町とともに田辺城下の町とされてきた。明治22年の大水害で河口の水深が浅くなったので、港は河口から海に向かった大浜に移った。明治以降、漁業が紀南で最も盛んになり、住宅地が不足したため大正10年には海岸埋立で住宅地をつくった。昭和になっても紀南の漁業の中心地として発展し、「江川枡潟町」が大規模な埋立によって誕生。(田辺祭)

・扇ヶ浜(オウギガハマ)

カシマダイ
神島台

・片町(カタマチ)
町の南側が田辺上の堀に面していて片側だけの町だったことが由来.(イケメンマップ)
・上芳養(カミハヤ)

.上万呂(カミマロ)
.中万呂(ナカマロ)
.下万呂(シモマロ)
万呂(丸・麻呂とも書く)は地内には熊野九十九王子社の1つ万呂王子が設けられていた.

上三栖(カミミス)

・上屋敷(カミヤシキ)
明治3年,田辺城本丸と丸の内を町域として成立。安藤氏直属の25家が配置され家老・用人・頭役など上級武士層の屋敷が立ち並んでいた.(角川日本地名大辞典)

学園(ガクエン)

・北新町(キタシンマチ)
江戸期は田辺城下八町の一つで、町割当初は長町(後の栄町)が東端だったが、その後、熊野街道沿いに徐々に町家が立ち並んで新町が形成され、長町に続く繁華街となった.現在も熊野街道(熊野古道)の中辺路と大辺路に分かれるところに「道わけ石」が立っている.
(田辺祭)
九川(クガワ)
串(串)
小谷(コタニ)
木守(コモリ)
・紺屋町(コンヤマチ)
江戸期は田辺城下八町の一つ.紺屋(染め物屋)が集まっていたことに由来.後に紺屋は減ったが、町名として「紺屋」が残っている.
宝歴11年には鋳物銭造の釜ができ、明治には田辺で最初の写真館が、また演劇場(のちに映画館となった)もできるなど、紺屋が少なくなっても賑わいが続いてきた.
(田辺祭)
ゴウガワ
合川
ゴミ
五味

・栄町(サカエマチ)
田辺城下の上長町、下長町が合併してできた明治4年以降の町名.江戸期以来の繁華街であったことから栄町と名付けられた.
田辺で初めての銀行(第四十三銀行田辺支店)が明治12年開行し、明治20年に宿屋8件、食物割烹8件、呉服屋7件、万屋6件、米屋3件、醤油屋3件ほか店舗があったと言う記録が残っているなど、その名のとおり賑わっていた。
(田辺祭)
サダ
佐田
シモガワカミ
下川上
シモガワシモ
下川下
シモツユ
下露

シモミス
下三栖
シモヤシキマチ
下屋敷町
シロヤマダイ
城山台
新庄町(シンジヨウチヨウ)
新万(シンマン)
新屋敷町(シンヤシキマチ)
末広町(スエヒロチヨウ)
高雄(タカオ)
たきない町(タキナイチヨウ)

竹ノ平(タケノタイラ)
谷野口(タニノクチ)
天神崎(テンジンザキ)
東陽(トウヨウ)
中ノ俣(ナカノマタ)
中芳養(ナカハヤ)
中辺路町石船(ナカヘチチヨウイシブリ)
中辺路町内井川(ナカヘチチヨウウチイガワ)
中辺路町大内川(ナカヘチチヨウオオウチガワ)
中辺路町大川(ナカヘチチヨウオオカワ)
中辺路町川合(ナカヘチチヨウカワイ)
中辺路町熊野川(ナカヘチチヨウクマノガワ)
中辺路町栗栖川(ナカヘチチヨウクリスガワ)
中辺路町小皆(ナカヘチチヨウコカイ)
中辺路町小松原(ナカヘチチヨウコマツバラ)
中辺路町澤(ナカヘチチヨウサワ)
中辺路町高原(ナカヘチチヨウタカハラ)
中辺路町近露(ナカヘチチヨウチカツユ)
中辺路町道湯川(ナカヘチチヨウドウユカワ)
中辺路町西谷(ナカヘチチヨウニシダニ)
中辺路町温川(ナカヘチチヨウヌルミガワ)
ナカヘチチヨウノナカ
中辺路町野中
ナカヘチチヨウヒヨウゼイ
中辺路町兵生
ナカヘチチヨウフクサダ
中辺路町福定
ナカヘチチヨウホクソギ
中辺路町北郡
ナカヘチチヨウマナゴ
中辺路町真砂
ナカヘチチヨウミズカミ
中辺路町水上

ナカミス
中三栖
ナカヤシキマチ
中屋敷町
ナガセ
長瀬
ナガノ
長野
ニシオオタニ
西大谷
・芳養町(ハヤチヨウ)
芳益とも書く.
芳養松原(ハヤマツバラ)
ハラ

ヒガシフドノ
東伏菟野
ヒガシヤマ
東山
ヒラセ
平瀬
フカタニ
深谷

・福路町(フクロマチ)
田辺城下八町の一つで、もとは「袋町」と書きました。明治3年に吉字の「福路町」とされた。
町名の由来は、片町から続く水路が袋状の船溜りになっていたことから付けられたとも、城の大手門横手に袋小路の町を造ったことからとも伝えられている.福路町は、もともと細工職人が住み、細工町の様相を有していた.田辺城より町の繁栄策として、正保2年魚店営業が、貞亨元年には塩魚座が許可され、城下に入る魚販売に関しほぼその独占権を得ました。その結果さらに多くの魚売商が集まり、他にも多業種の商職人が集まった.慶応年間ごろにはかまぼこ製造が本格化し、現在も数軒の蒲鉾店が残っていることから、近年は「かまぼこ通り」と呼ばれ田辺の名所として注目されている.(田辺祭)

フドノ
伏菟野
フルオ
古尾
フルヤ
古屋
ホウライチヨウ
宝来町
ホングウチヨウイツポンマツ
本宮町一本松
ホングウチヨウウケガワ
本宮町請川
ホングウチヨウオオイ
本宮町大居
ホングウチヨウオオゼ
本宮町大瀬
ホングウチヨウオオツガ
本宮町大津荷
ホングウチヨウカミオオノ
本宮町上大野
ホングウチヨウカミキリバラ
本宮町上切原
ホングウチヨウカワユ
本宮町川湯
ホングウチヨウキリハタ
本宮町切畑
ホングウチヨウクボノ
本宮町久保野
ホングウチヨウコゴモリ
本宮町小々森
ホングウチヨウコツガ
本宮町小津荷
ホングウチヨウシズカワ
本宮町静川
ホングウチヨウシモユカワ
本宮町下湯川
ホングウチヨウタカヤマ
本宮町高山
ホングウチヨウタシロ
本宮町田代
ホングウチヨウツガダニ
本宮町津荷谷
ホングウチヨウツチゴヤ
本宮町土河屋
ホングウチヨウノダケ
本宮町野竹
ホングウチヨウヒガシワダ
本宮町東和田
ホングウチヨウヒバ
本宮町檜葉
ホングウチヨウフシオガミ
本宮町伏拝
ホングウチヨウブジユウ
本宮町武住
ホングウチヨウヘイジガワ
本宮町平治川
ホングウチヨウホングウ
本宮町本宮
ホングウチヨウマガリカワ
本宮町曲川
ホングウチヨウミコシ
本宮町三越
ホングウチヨウミナセガワ
本宮町皆瀬川
ホングウチヨウミナチ
本宮町皆地
ホングウチヨウミノオダニ
本宮町蓑尾谷
ホングウチヨウミミウチ
本宮町耳打
ホングウチヨウユノミネ
本宮町湯峯
ホングウチヨウワタゼ
本宮町渡瀬
・本町(ホンマチ)
慶長11年、浅野氏家が湊村城(田辺城)を築城した際、城下の中心として最初に町割りされました。これが「本町」の町名の由来といわれている.浅野氏家の最初の居城は、川向かいの上野山城で、その城下として形成された古町などから人々が移住してきた。当時は田辺城下の中枢機能をもち、旅商人宿、酒屋、大工、塗師屋、畳屋、傘屋仕立物やなど多職業の商職人がいた。明治22年の市制町村制の施行により田辺町ができたときも町役場が置かれ、明治33年には田辺銀行が創設されるなど、田辺の中枢機能をもっていた。海運が盛んになると文里港が田辺の玄関口となり、町の中心は東側に広がってきました。大正10年、役場は上屋敷町へ移転し、昭和初期には紀伊田辺駅の開設などにより以前の活気は失われたが、今も様々な店が並ぶ。(田辺祭)

・神子浜(ミコノハマ)
古くは新熊野社(闘鶏神社)の神子が居住していた地であることに由来する.

・湊(ミナト)

・南新町(ミナミシンマチ)
江戸期は田辺城下八町の一つで、町城は広く、大工、綿打、桶屋、左官、屋根屋、指物、小細工、塗師、鍛治など多くの職人が住む職人町だった.
寛永年間成立と推定される田辺城下図絵(闘鶏神社蔵)に「新町」の名があります。これは後に北新町となるが、新町が南に伸びていったところが寛文5年の検地町割で南新町となった.
(田辺祭)
ミナミシンマン
南新万
ムカイヤマ
向山
ムツミ
むつみ
メイヨウ
明洋
メラ
目良
メンガワ
面川
モトマチ
元町
モリ
文里
ら行
リユウジンムラオイエ
龍神村小家
リユウジンムラカイノガワ
龍神村甲斐ノ川
リユウジンムラコマタガワ
龍神村小又川
リユウジンムラトノハラ
龍神村殿原
リユウジンムラニシ
龍神村西
リユウジンムラニユウノガワ
龍神村丹生ノ川
リユウジンムラヒガシ
龍神村東
リユウジンムラヒロイハラ
龍神村広井原
リユウジンムラフクイ
龍神村福井
リユウジンムラミツマタ
龍神村三ツ又
リユウジンムラミヤシロ
龍神村宮代
リユウジンムラヤスイ
龍神村安井
リユウジンムラヤナセ
龍神村柳瀬
リユウジンムラユノマタ
龍神村湯ノ又
リユウジンムラリユウジン
龍神村龍神
わ行
ワダ
和田

[かつて存在した地名]

[その他地名]

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